渡辺京二さんの『逝きし世の面影』について、もう少し書いてみます。
記述のねらいについて
前回の記事では、『逝きし世の面影』が幕末から明治期の日本を美しく描いたことと、それは美しかったことを主張したいのではなく、現代を相対化するためのひとつの参照枠したかったということを書きました。渡辺さんは「今ばやりのオリエンタリズム云々といった杜撰な意匠によって、闇雲に否認されるばきではない」とも言っています。渡辺さんが参照したのは当時の外国人が残した見聞録的なもの。
このあらゆるものを相対化してしまいかねない批判の手法は、エドワード・サイードの『オリエンタリズム』を源流としています。サイードはパレスチナ生まれで長くアメリカの大学で教えた学者で、文化的なイメージの裏にある隠れた正当化を暴くという手法で、西洋の植民地主義を巧みに批判した人でした。一方で、サイードにとって、帝国主義的な力のもとに見えにくくなっていた文化的抑圧を描き出すひとつの手段として用いたものが、文化の記述の安易な批判の方法になったことは否めないように思えます。
渡辺さんは、本書にある、外国人から見た日本はステレオタイプ的であるが、イメージだけが一人歩きするような記述ではないと見ています。たしかに偏見や事実誤認はあったとしても、近代的な文明人から見たときの驚きが、何かが存在したことの証明になると考えているのです。
そういう意味で『逝きし世の面影』にある外国人の記述は興味深いものがあります。どうしても安易な日本賛美に見えてしまうところが多いのですが、そこを気をつけて読んでいくと色んなことを考えさせられます。どのようなテーマについて書かれているかは目次を見るとわかりやすい。
目次
- ある文明の幻影
- 陽気な人びと
- 簡素とゆたかさ
- 親和と礼節
- 雑多と充溢
- 労働と身体
- 自由と身分
- 裸体と性
- 女の位相
- 子どもの楽園
- 風景とコスモス
- 生類とコスモス
- 信仰と祭
- 心の垣根
外国人の「驚き」からわかる
第三章の「簡素と豊かさ」を取り上げてみましょう。ここでは日本の庶民あるいは貧民が清潔であり、日々の生活に満足しているように見えることの驚きを紹介しています。地域によっては、目を覆いたくなるような貧困もあったという記述も紹介しつつ、悲惨な貧困は見当たらず、人々の要求が低くて、かつ物価が低く、社会階級的な不平等が少なく見えたことが強調されています。富裕層も貧困層も、日々の食事にそれほど大きな違いはなく、物価の安さと暮らしのシンプルさのもとに暮らしていることが奇異に見えたのでしょう。
下田に滞在していた、アメリカ公使タウンゼント・ハリスは「世界のいかなる地方においても、労働者の世界で下田におけるよりも良い生活をおくっているところはあるいまい」と述べています。これに対して、単に日本人の伝統的な習性というだけでなく、当時の初期工業化社会との劇的な対照があればこそ、印象が強烈なものなったのではないかと分析しています。当時の栄養的な都市生活者が持つ貧困のイメージは、工業都市におけるスラムのイメージなのでしょう。道徳的な崩壊を結びついた貧困を知っていたからこその、驚きと言えます。
工業化社会到来以前の貧しさは、社会問題としての貧困とは全くべつものであり、人々の生活が自立的て、ともに生きるために必要なものは地域のために開かれていたとしています。ややユートピア的な理解でしょうが、外国人の驚きから、そのようま面が存在したことは確かであると思われます。
近代に対する違和感
渡辺さんの著作には北一輝と宮崎滔天の伝記があります。北一輝は戦前の思想家で二・二六事件の理論的主導者として有名です。宮崎滔天も戦前の人物で、辛亥革命を起こした孫文を日本で支援したアジア主義運動家の一人です。本当に不思議なことだなーと思うのですが、渡辺さんは、この二人の中にも近代にはない感覚の持ち主で、近代化に抗おうとした人として見ています。平等でお互いが自立しあって存在する理想世界があって、近代化は世の中は全く違うものに変えてしまうという思いが彼らの中にあったことを、エピソードやテクストから拾っていく。この抵抗に目を向けるのは今でも意味のあることだと感じます。
このような記述ができたのは、渡辺さんに合理的で功利的な近代的思考とそれをベースにした人びとの生活に、違和感を感じ続けていたからでしょう。その違和感は大小様々な違いはあっても、多くの人の中に存在しているはずです。であるが故に、もっと渡辺さんの著作に入ってくれる人が増えればいいなと感じます。