私にとって文章を書くということはどうあっても過去を意識することから切り離すことができません。
それは特に自分が生まれる前のことです。私は1980年代生まれなので、物心ついたのは90年代、社会に関心を持つようになったのは90年代の終わりも終わりから、2000年代初め、ちょうど高校生の頃のことです。
90年代後半からゼロ年代の前半という時代は何かが切り替わった季節のように思います。人々が明確に不況ということを意識し、かつ構造改革に代表されるような「今のままではまずいのではないか」という雰囲気がやや歪んだ形で表れていた時代だったのかもしれません。
私が批評というものであったのはそんなころで最初に多く読んだのは、柄谷行人さんの本でした。他にもいろいろ思想書を読んだと思うのですが、繰り返し読んだ本はそれほど多くありません。その中で柄谷さんの本は何度も読みなおしました。柄谷さんの本は多くが講談社学術文庫として文庫化されていたので、値段的にも手に取りやすかったということがあります。
私はいつからか「日本」というカテゴリをいつも気に気にするようになりました。このことは20代の頃はあまり意識しなかったことです。多くのちょっと難しい本を、それほどストレスなく読めてしまうような人間は時代を無視して「世の中の真理」のようなものが存在すると考えてしまうことがあります。これは年齢にかかわらず、起こりうることです。尊敬する人物が体系だった理解が可能であるように語っていたときに、それですべてが説明されてしまったように思うこともあるでしょう。物事が多様で、様々な見方があることに意識が回らないうちにまま起こるといってもいいかもしれません。柄谷さんをはじめとして、自分の言葉で思想を構築しようとしている人たちにはこの落とし穴に対する自覚があるように思えます。それらは思想家にとっての方法的基準であるといえるのですが、一方で批評的な態度ともいえるでしょう。体系知成り立ちにくい状況の中で、自分自身の方法的基準を確立しながら、様々な対象に向かって思想を繰り広げていく。これを仮に批評的な態度と呼ぶのだとすれば、現在においてできることは思想家として自分の体系を押し付けるのではなく、批評家として、できるだけ多くの人間とコミュニケーションを可能とする言葉を紡ぐことのなのではないか、そんな風に私は考えています。
そんな風に考えるようになったのと同時に、やはり押さえない行けないのは思想史なのではないかという思いが強くなってきました。それは西洋を含めた広い意味での思想というよりは、日本において思想家が何を課題としてきたのか、ということです。結局のところ、思想が心理に到達することが不可能だと考えれば、それぞれの状況で、言葉を紡がざるを得ない必然性があったと考えることができます。であるならば、過去の思想家は何を考え、その思考はどのように失われ、あるいは継続してきたのか。あるいは、生きる環境としての時代はどのように変化し、過去の時代の問題意識は我々の前から消えたのか、それとも形を変えた残っているのか、このことを考えることが、何よりも重要ではないか、と考えるようになったのです。
繰り返しになりますが、私が思想的なことを考え始めたのはほぼ2000年代に入って以降です。90年代から70年代の知的変化は過去と決別を経てきており、さらに戦後の時代から60年代について、戦前との決別を経ているとすれば、我々は全く足元のないところで考えているのではないか、という疑念がわいてきます。この疑問はひとまず私の個人的な直感によるものと考えたとしても、この疑問を明らかにしようと思ったら自分なりに日本思想史をやってみる必要があるような気がしている、というわけです。それはアカデミズムにも認められるような「正史」ではなくて、まさに上記で触れたような批評、すなわち私なりの方法的基準の確立にすぎないのです。
柄谷さんには『マルクスその可能性の中心』という初期のころの代表作があります。ここで柄谷さんはフランスの詩人・作家であるポール・ヴァレリーの議論を引きながら、読む行為のから作者の作った作品を読者が読むという行為の神秘性について述べています。柄谷さんはマルクスを読むということを、これまでの読まれてないものの可能性を読むということで示そうとしています。読むことによって立ち上がってくるものとしての作品があり、対象を読むことで可能性を見出していくことこそがマルクスの方法であり、その方法をマルクスに適用することで示した興味深い論考です。柄谷さんの文章や思考は批評として高度な基準があるのでそこまでは私にとっては遠い話といえますが、まさに誰かが誰かの作品を読むことによって、立ち上がるものがあるとしたら、作品および作者はそこによって立ち上がるのだと考えれば、今こそ、作品として、作者としてたちがるべきものが多く眠っているのではないか。その立ち上がりがこれからの言葉として必要されているではないか、常々感じているのです。